携帯電話の進化を牽引:クアルコム、特許がビジネスそのもの
現代のモバイル通信技術は、スマートフォンからIoTデバイスまで、私たちの生活のあらゆる側面に深く浸透している。この巨大な市場を支える基盤技術の多くは、米国の半導体・通信機器メーカーであるクアルコム(Qualcomm)が持つ知的財産によって成り立っていると言えるだろう。彼らは、単に製品を製造・販売するだけでなく、自社の特許を他社にライセンス供与することで、莫大な収益を上げるという、極めてユニークかつ支配的なビジネスモデルを確立している。これは、一般的な「特許プール」を形成するよりも、「自社が巨大な特許の塊」になることで、事実上、他社にライセンス料の支払いを強制するという戦略だ。クアルコムは、通信規格そのものにおける特許の「入り口と出口」を管理することで、市場での圧倒的な支配力を保持しているのだ。
その戦略の源流は、1990年代初頭にまで遡る。クアルコムは1993年、当時主流だった通信方式を凌駕する高容量の「CDMA(符号分割多重アクセス)」技術を携帯電話の通話で実証し、業界に革命をもたらした。CDMAは、同じ周波数帯で同時に多数の通話を可能にし、さらに高速データ通信をも実現するという画期的な技術だった。クアルコムは、このCDMAに関するモデム技術の基礎となるコア特許群をいち早く形成し、この技術が通信方式の国際標準として採用されると同時に、その特許を保有することで市場参入企業からライセンス料を徴収するビジネスモデルを確立したのだ。
標準必須特許(SEP)戦略の深化:3Gから5Gへの支配力拡大
クアルコムの知的財産戦略は、CDMAの成功にとどまらず、その後のモバイル通信規格の進化に合わせてさらに深化していく。2000年代から2010年代前半にかけての3Gから4G(UMTSやLTE)への移行期において、クアルコムはこれらの新規格に不可欠な多数の標準必須特許(SEP)を出願・取得した。SEPとは、特定の通信規格(例えば3GPPによって定められた規格)に準拠した製品を製造・販売するために、その特許を使わざるを得ないほど不可欠な技術であると認められた特許を指す。具体例として、「aperiodic SRS(Sounding Reference Signal)」に関する特許は、4G/LTE時代において、無線通信の効率性と精度を高めるための標準要件として極めて重要視されたものだ。
クアルコムは、このような標準規格に組み込まれるSEPを戦略的に押さえることで、世界のスマートフォンや通信機器メーカーが、自社の技術を使うたびに対価を支払うというライセンス収益構造を確立したのだ。これは、FRAND(公正、合理的、非差別的)原則に基づくライセンス契約の下で、製品の使用は可能だが、ライセンス料の支払いは必須であるという、クアルコムに極めて強い立場をもたらす。
2013年以降の5Gの黎明期から現在に至るまで、クアルコムはさらに「攻勢特許」を大量に出願し続けている。毎年2万~3万件もの関連特許を出願し、特に2021年にはその数が一段と拡大した。2024年現在、クアルコムは欧州電気通信標準化機構(ETSI)に4,552件もの5G SEPを登録しており、これはHuaweiなどとトップを争う規模である。ここで重要なのは、単に特許の数が多いだけでなく、「技術の必須性」が認められたコア技術を握っている点だ。クアルコムは「適応ネットワーク」や「ミリ波帯」「アンテナシステム」といった5Gの中核技術を特許で押さえることで、世界のスマホメーカーや通信機器メーカーは、個別の交渉ではなく、クアルコムが提示する「一括パッケージライセンス」契約を結ぶことを余儀なくされる状況にある。
知財が描くビジネスモデル:ロイヤリティと法廷戦略の舞台裏
クアルコムの知財戦略は、その独特なロイヤリティ設計によって、企業としての安定した業績を支えている。同社は、携帯電話の売価に対して、セルラSEPのみで3.25%、すべての関連特許を含めると5%という料率でロイヤリティを徴収する契約モデルを導入している。この「1台売れるごとに売価の何%かを徴収する」という仕組みは、自社が販売するチップの売れ行きだけでなく、世界中のモバイル機器の販売台数に連動して収益を得ることを可能にする。これにより、物理的なチップ販売の市場変動に左右されない、極めて安定した収益基盤を確立しているのだ。
このSEPに基づく支配力を維持するため、クアルコムは必要に応じて訴訟戦略も辞さない。特にAppleとの法廷バトル(2017年~2019年)は、クアルコムのSEP支配力と交渉力を象徴する事件であった。この訴訟は、モバイル業界における特許ライセンスのあり方を巡るもので、最終的に和解契約が成立した。その決着は、物理的なチップの対価だけでなく、「ライセンス料+クロスライセンス契約」という形でWin-Winの関係を築いたものであり、クアルコムの知財が持つ交渉力の強さを示している。
クアルコムの知財戦略は、新技術(CDMA)の標準化を主導し、関連特許をいち早く取得することから始まった。その後、3Gから5Gへと続く通信規格の進化に合わせて、標準必須特許(SEP)を継続的に取得し、そのポートフォリオを強化。さらに、使用ごとの「%徴収」というロイヤリティモデルを普及させ、法的・交渉的な優位性を築き上げてきた。この戦略のループにより、クアルコムは自社製品以外からの継続的な収益源を確保し、モバイル通信市場全体における支配的な立場を確立した。知財が単なる「研究の成果」ではなく、「ビジネスそのもの」になっている点が、クアルコムの最大の面白さであり、その成功の秘訣と言えるだろう。
参照URL:
IAM「Licensing SEPs after FTC v Qualcomm」
FTCによる訴訟後、Qualcommのno‑license/no‑chipsモデルやハンドセット価格ベースロイヤリティの争点を詳述
https://www.iam-media.com/global-guide/iam-yearbook/2020/article/licensing-seps-after-ftc-v-qualcomm
PatentPC「Case Study: Qualcomm’s 5G Patents That Enabled Industry Standards」
5G標準化におけるミリ波やアンテナ技術などの特許戦略を解説
https://patentpc.com/blog/case-study-qualcomms-5g-patents-that-enabled-industry-standards
greyb.com
Lexology「China imposes record fine … for alleged abuse」
NDRCによる中国での独占禁止法違反調査と約9.75億ドルの制裁を報告
https://www.lexology.com/library/detail.aspx?g=0af93c61-9f5d-4ed4-b49a-f040c34f9ef9
lexology.com
Open Legal Community「FTC v. Qualcommの後のSEP特許ライセンス」
地裁での判決とNinth Circuitまでの流れをわかりやすく整理
https://openlegalcommunity.com/sep-license-after-ftc-qualcomm/
jpaa-patent.info
Qualcomm公式PDF「The devil is in the detail – the Qualcomm take on patent licensing」
約14万件の特許をポートフォリオとしてまとめたグローバル・ライセンス戦略を公式観点から紹介
https://www.qualcomm.com/content/dam/qcomm-martech/dm-assets/documents/the-devil-is-in-the-detail-the-qualcomm-take-on-patent-licensing-iam.pdf
Forbes「No License, No Chips? No Dice: Dissecting Judge Koh’s Opinion in FTC v Qualcomm」
Judge Koh判決をもとに、no‑license/no‑chips戦略と市場支配力の関係を経済学的視座から分析
https://www.forbes.com/sites/washingtonbytes/2019/06/10/no-license-no-chips-no-dice-dissecting-judge-kohs-opinion-in-ftc-v-qualcomm/




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